糸数アブチラガマの事…

沖縄最後の日に糸数アブチラガマに行きました。
少し重い話になります。
アブは深い縦の洞穴のこと。
チラは崖のこと。
ガマは洞窟や窪みのこと。
沖縄本島はほとんどが隆起珊瑚礁でできていて、雨の侵食によってできた自然の洞窟が各地にあります。糸数アブチラガマは沖縄戦で、住民の避難場所になったのですが、日本軍の作戦陣地や野戦病院として利用されました。全長270メートルの壕に600人以上の負傷兵で埋め尽くされました。
南部撤退命令により病院が撤退したあとは、住民約200人と生き残り負傷兵、日本兵の雑居状態となり、米軍の馬乗り攻撃を受けました。

壕に入る前に説明を受け、ヘルメットと懐中電灯を装着します。
入口には、写真撮影禁止の看板。
入る前に説明員の方が『東京からお越しの○○さんをこれからご案内します。どうぞよろしくお願いします』と壕内に向かって声をかけました。少し観光気分だった全員に緊張感が走りました。自然の洞窟に手を入れたとはいえ、背をかがめるほど天井の低いところや、足元はごつごつの岩。滑りやすいのでそんなに早くは歩けません。真っ暗闇の中、息苦しさでいっぱいになります。
こんなところに長い間置き去りにされた負傷兵や献身的に看護したひめゆり部隊の乙女たちの姿を思うと、胸が苦しくて、涙が止まりませんでした。
私は昨年、小学校の読み聞かせで沖縄戦と、ひめゆり学徒の話を取り上げたので、それに関する文献を4〜5冊読んでいました。まさにその話が順々に広がって行き、『あのシーンはここだったのだ』 『ひめゆりの少女が横になる場所もなく、立ったまま、もたれかかった岩…』頭の中の想像をはるかに超えた凄惨な場所でした。
ところどころで当時を偲び、電灯を消すと、本当に真っ暗闇で、人々の絶望感と生きたい、生きて、愛する家族に会いたいと願いながら息絶えた無念が、私にずっしりとのしかかります。
霊感の強い方は色々なものが見えたり、もうそこにいられない位苦しくなるそうです。
私はそういう霊感は持っていないので、最後まで、説明員の方の話を聞き、出る時も『ありがとうございました。皆さんの無念な思いを二度と繰り返さない事を誓います。』と壕内に向かって手を合わせました。
かわいい子供たちを戦場に送りたくない。どんな親だって、そう思うでしょう。愛おしい恋人を誰が戦場へ送りますか?

もし、あなたが沖縄を旅する事があったなら、必ず、尋ねてみて下さい。
国内で唯一、住民を巻き込んだ凄惨な沖縄戦の事実を知って下さい。
美しい沖縄の海を、山々を、空を守る為に、美しい日本を、美しい地球を守る為に、私たちができる事を考えたいと思いました…。